書評 清水晶子『フェミニズムってなんですか?』

一般人口の中にはフェミニズム的な言説を時たま耳にし、なんとなく
フェミニズムってちゃちだろうな。フェミニストって幼稚だろうな」
と印象を持っている人はいるだろうが、本書はそれを確認するのに使える。
評者の感想を一言で言うなら「フェミニズムなんていらない。」

序文からずっこけた。

フェミニズムってなんですか」という問いには、ひとつの定まった答えをだすことはできません p.5
この本は「フェミニズムとは何であるのか」に対してひとつの正解を提示することを目指してはいません p.6

だそうだ。題名に採用した問いに答えないという不誠実さを著者はなんとも思っていないようだ。評者が読み取ったところでは、フェミニズムとは「女性の生の可能性を広げる」ための思想、運動、学問領域(?)のことのようだ。抽象的で感傷的だと思うのだが実際に本文はそういう文章が続く。

おかしなことが書いてある。セックスとジェンダーを論じている箇所で

生物学的な性別(セックス)と社会的な性別(ジェンダー)という区分自体も、それほど確固たるものではありません。生物学的な指標としてしばしば用いられるのは、外性器の形や生殖器、ホルモンバランスや染色体などですが、そのいずれかひとつを突き詰めればすべてのヒトを生物学的に明確かつ最終的な形で雌雄のどちらかに決定できるのかというと、現時点の医学や生物学は、必ずしもそんなにはっきりとは分けられない、と考えているそうです p.202

「そのいずれかひとつを突き詰め」て雌雄を判断しなくても複数の組み合わせで分ければいいだけだろうに、なぜこんなことを言うのだろうか。

李琴峰との対談で

トランスジェンダー、特にトランス女性に対するフェミニストからの攻撃は、たしかに現在では世界各地に見られますし、そのロジックが半世紀前の言説を踏襲したものであるのも、仰る通りです p.226

と言うのだが、「攻撃」かどうかはともかくそのロジックが半世紀前の言説から変わらないというのは「トランス女性は女性」派のフェミニストから有効な反論がないということではないだろうか。女性の定義を著者に聞いてみたい。どうせ定義せずにのらりくらりと逃げるだろうが。

数少ない良いと思えるところのひとつは、長島有里枝との対談で長島が

そういえば、男の子の母親になるのがわかったとき、男性を敵対視するような言動はやめよう、と思いました p.62

と言っているところ。著者はこれについて何も言っていないが長島の立場になってこのことを考えられるだろうか。